とりあえず無題

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流れを大事にしています

本の映像化と想像力の話。

本の映像化は結構議論を呼ぶ問題だと思う。



実写化すれば、原作の良さが失われる等の否定的意見、新しいファンを増やせる等の肯定的意見など様々だ。



ただ、ボクが1番重要な点だと思うのは映像化されてその作品についての画一のイメージが生まれる、という所だと思う。





簡単にいうと絵がつくってこと。


本の場合は、キャラクターの外見から舞台となる場所の風景まで、読み手の想像に委ねられる。


逆に映像化されれば、脳内ではなく現実の世界において見える化されることで、想像力の必要とされる範囲は格段に減少するだろう。



これはどちらが優れているということもなく、各々好みの物(もしくは両方)を見れば良いのだが、その時個人的にひっかかることがある。



それは、本と映像化作品における「不可逆性」の問題だ。




ここにおける不可逆性とは、本を読んで自分の脳内でつくりあげたその本の世界は、映像化されたものを見た瞬間に失われて、二度と戻ってこない(ような気がする)ということだ。




また、映像化作品を見た後に原作の本を読んでも、その映像を元にした世界観しか想像することしかできず、新たな自分だけの世界を生み出すことはなかなかむずかしい(もしかしたらボクの想像力が弱いだけかも)。



このことから分かるように、自分の脳内で生み出される想像の世界は、固定的ではっきりとしたものとして作りだされる現実の映像と比較して、とても儚く脆いものである。ちょうど夜眠りについているときに見る夢のように。




ただ、儚いものではあるがこの想像の世界は、人間にとってとても大事なものなんじゃないかなぁとボクは思ったりもする。



人間的に魅力のある人物というのはベクトルは違えど、誰しも自分だけの世界観や考え方をもっているものだ。


そして、そのような所謂個性というものは、その人自身の脳内で生み出された想像の世界が育む部分も大いにあるのではないかと思う。



ボクの大好きな作家である森見登美彦氏(これを書こうと思ったのも氏の特集を読んだのが理由である)の本の素晴らしいところは数多あるが、その根本にあるのは、氏が様々な読書経験や大学での個人的体験を通して少しずつ創り上げていった「モリミーワールド」とも呼ばれる唯一無二の想像力の世界だと思う。



また、氏の偉業として特筆すべき点は、その想像の世界を現実の京都に拡張し、その地に新たな魅力を与えたことに加え、そのようなご当地小説とも言うべき分野の先駆けとなった点など……(長くなるので割愛)



結局言いたいことは、映像化された作品を見ることは、その人自身が原作を読んで創り上げた、個人の想像の世界を失うことでもあるということだ。


その映像作品を見た全ての人が共有できるものと引き替えとして。



また、この問題は1作品の映像化の是非にとどまらず、社会全体での「わかりやすさ」の追求による想像力の欠如というより大きな問題にも関係していのではないかと個人的に思っていて、今後その辺についても詳しく考察してみたい。





まあ、そうは言ってもボク自身映像作品(YouTube、アニメ、ニコ動等々)めっちゃ好きなんですけどね(*^^*)





注:この文章は半年程前に別の場所に僕が書いたもので、それを特に加筆修正することも無くブログにコピペしました。読みづらかったら申し訳ないです。質問、疑問、反論全て大歓迎です。Twitterにでも、ブログのコメント欄でもぜひぜひ。