とりあえず無題

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現役大学生がオンライン授業について思うことを率直に書いてみた

率直に書くと、オンライン授業割と好きです。

 

「大学生の日常も大切だ」というハッシュタグTwitterで流行ったこともありましたが、「うーん、これでオンライン授業終わっちゃたら嫌だなあ」なんて思っていました。

 

そういえば、友達に話を聞いたりしていると、地方の学生人数が少なめな大学ではもう対面授業が完全に再開しているところもあるそうですね。僕が通う京都大学では、まだほとんどがオンライン授業で、僕に関しては今のところ対面授業はまだ1つもありません。

 

なんで好きなのかというと、やっぱり基本的に気楽だからです。普通に考えて大学に行かなくていいって言うのはものすごいメリットな気はします。

 

そもそも、大学生は普段から「絶起」(「絶望起床」の略。寝坊して絶望的な時間に起きることを言う。)とか「自主休校」(大学の授業を自主的に休むこと。サボり。)とか言ってるんだし。

 

例えば、僕は今奈良の実家に帰っていますが、オンライン授業じゃなかったらこれはできないことです。前期の期間中に、僕はあれこれ旅行したりもしていましたが、これもやっぱりオンライン授業じゃなかったらできなかったことです。非常に良いですね。ビバオンライン授業。

 

ただ、1つ気になることはあります。それは、僕が1回生だということです。

 

つまり、僕は、というより僕をはじめとする1回生の多くの大学生は、「オンライン授業」と比較する「対面授業」、というよりも「普通の大学生活」というものを一切知りません。

 

少し話がそれます。これは常々思っていることですが、大学生が「対面授業」を再開してほしいと言う時は、むしろそれは「対面授業はどっちでもいいけどサークルや飲み会といった対面での大学でのやり取りから派生するあれこれを再開してほしいから、とりあえず対面授業を再開してほしい」という意味合いが強いものだと思います。それを全てひっくるめたものが「普通の大学生活」というものです。

 

いや、もちろん、一部の優秀な大学生は「ゼミナール形式の授業でより議論を深めたい」「自分が疑問に思ったことを教授に直で質問したい」とか考えているのでしょうが、残念ながら(?)そういった人は今の大学では少数でしょう。

 

というか、よく考えてみると、今書いたことですら「対面授業」そのもののメリットかどうかといわれると微妙なところはあります。別にオンライン授業でも「ゼミナール形式の授業でより議論を深める」ことはできますし、むしろオンラインの方が対面での心理的障壁が取り除かれて、議論が進んでいたと前期の授業を評価している教授もいました。

 

「自分が疑問に思ったことを教授に直で質問したい」というのも、よくよく考えれば、オンラインで質問したらええやんという話です。オンラインだから質問には答えません、というような意地悪な教授は少ないでしょうし、むしろ多くの教授は授業後に質問の時間を取ってくれています。(ほとんどだれも残って質問とかしないけど)

 

結局、上の2つに関しても「対面授業」自体がどうこうというより、「対面授業に付随するあれこれ」が問題になっていると言えそうです。「ゼミナール形式の授業でより議論を深める」というのは、より正確に言えば「ゼミナール形式の授業後にさっき話した人と仲良くなって、授業の話やそれ以外の話をあれこれしながら次の授業に一緒に向かう、もしくは一緒に昼食を食べる」だと思います。

 

「自分が疑問に思ったことを教授に直で質問したい」というのは、なんでしょうか。多分、正確に言えば「教授に顔を覚えてもらったり、とりあえずすごい人と議論をしてみたい」とかではないでしょうか。

 

なので、僕は対面授業とオンライン授業の比較を行う際に、その学習効果だけを抜き出して行うことが適切だとは思いません。いや、より正確に言えば適切でないというよりは、適切かもしれないけれど大学生は誰もそんなところを問題にしていない、といった感じでしょうか

 

 

その意味で、ラジオ先生のこのツイートはなかなか大学生の本音を捉えている気はします。ただ、実際は授業がなかったら生まれない交流というのもあると思うので、これでみんなが上手くいくかどうかは分かりませんが。

 

今の1回生は「普通の大学生活」を知らない、という所に話を戻します。

 

「普通の大学生活」を知らないということは、分かりやすく言えば「普通の大学生活」を知らないということです。つまり、上の方で少し話がそれた部分の「対面授業に付随するあれこれ」みたいなのも、全部僕の想像だということです。

 

もしかしたら、大学の対面授業というのは、ゼミナール形式であっても僕がさっき言ったものよりももっと無味乾燥で、誰との交流もないものなのかもしれません。別に対面授業があったところで、教授と話す機会はほとんどないかもしれないし、昼に1人で学食を食べているのかもしれません。

 

反対に、大学というのはとってもすごいところで、対面授業が終わるとみんなで議論や世間話に花を咲かせたり、みんなでご飯を食べに行ったり、教授とも親交を深められるような場なのかもしれません。(これはたぶん違う気がするけど)サークル活動を通して、たくさんの仲間を増やせるものなのかもしれません。

 

結局、「普通の大学生活」がなんたるかを知らない1回生は、すべて想像するしかありません。で、この想像という行為は、その想像するものがバラ色のものであればあるほどなかなかしんどいものになる気がします。

 

いつ再開するかもわからない、再開したところで元通りの生活に戻るかどうかもわからない、そんな状態のまま「バラ色のキャンパスライフ」に思いをはせ続けるのはなかなかしんどいです。つらつらです。

 

なので、僕は早い段階で「バラ色のキャンパスライフ」とやらに見切りをつけてしまいました。「バラ色のキャンパスライフ」どころか「大学そのもの」に見切りをつけた、といっても過言ではないかもしれません

「そっちがこっちの思い通りになってくれないなら、もうお前には何も期待しねぇよ!」的なあれです。旅行だったり、大学外の人と遊んだり、仕事に力を入れてみたりと、意図的に大学から離れようとしている気がします。大学から離れて自分の生活を成り立たせる術を探しているように見えます。ツンデレみたいですね。(デレる気はないけど)

 

最初に僕がオンライン授業が好きだといった意味は、こういうところにあったりします。オンライン授業なら大学と極力関わらずに済む、大学に見切りをつけた自分にとってはオンラインが都合がいいと、こういうわけです。

 

こんな僕も、実は4月、5月ごろまでは早く「普通の大学生活」を体験してみたいと思っていました。一応浪人して京都大学に入ったこともあり、「バラ色のキャンパスライフ」を楽しみに勉強を頑張っていたという部分もなきにしもあらずだったと思います。

 

自分のTwitterの方も今とはずいぶん趣が違いました。「大学生だけオンライン授業を強いられるのはおかしい」といった感じの意見を言ったり、似たような意見の有名人のRTが多かった気がします。

 

ただ、コロナの流行はこれからも長く続くだろうし、きっと今まで通りに戻ることはもうないのではないか、と薄々気づきはじめたときに、これ以上大学での「あったはずの今」「これからあるはずの未来」といったものを想像することに疲れてしまいました。

 

そこで僕が取った選択が「諦念」でした。大学でのすべてを「ないもの」ということにして諦め、大学以外のすべてを充実させることに力を入れようと決意(?)しました。

 

その決意のもとに存在している今現在の生活は、自分自身でもなかなか気に入っています。旅行に行ったり、友達や彼女と遊んだり、一度やってみたかった書くことを仕事にしてみる等、色々なことをやってみています。もちろん今でもたまに欝になりますが、これは自分の元々の性格によるもので、別に「普通の大学生活」があっても多分定期的になっていたと思います。

 

もちろん、「普通の大学生活」に未練というか、どんなものだろうという漠然とした憧れというか、単純に一度体験してみたいという好奇心がないわけではありません。ただ、それよりも今の大学への「諦念」の先に見つけた今の生活を、大学だけには邪魔されたくないという思いが強い気がします。

 

自分でもなかなか勝手なことを言っているという自覚はありますが、こういう意味で僕は今の「オンライン授業」が続いてほしいと思っていますし、なんなら大学自体が休校になってしまえば、とすら思います。

 

……。

 

まあ、こんなこと言っててもどうせ「普通の大学生活」が再開したら「大学楽しー!」なんて無邪気に言ってるような気もします。

 

まあ、そうなるかもしれないけれど、今の素直な感情を一応文章に残しておくことは(自分にとって)意味があるかなと思い、こんな文章を書いてみました。

 

とりあえず、今一番やってほしくない、一番めんどくさいのは中途半端に大学の対面授業が再開されて、好きに旅行に行ったり、帰省したりできる今の生活が失われ、しかも「普通の大学生活」も手に入らないやつであることだけは確かです。湊総長、頼むから勘弁してください。プリーズカムバックゴリラ総長。

 

他の大学生、特に1回生の皆さんは現状をどう思っているのか、ぜひ本音を聞いてみたい気もします。