とりあえず無題

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「将来に対する唯ぼんやりとした不安」について

 

僕は芥川龍之介を割と尊敬している。みんなが良く見るあの写真は結構オシャレだし、高校の時授業聞いてるフリして電子辞書で読んでいた短編はとても面白かった。

 

 

面白かったと言ってもあまり内容を覚えていないけれど、確か『河童』が1番好きだったかな。『秋』も入試問題か何かで読んで、それで気に入って全部読んだ記憶はある。

 

 

『歯車』はよく分からなくて、何を意味してるんだろう、何を書こうとしてるんだろう、とかモヤモヤはっきりしないままそこで終わってしまった。高校生だった自分にはちょっと難しかったのかもしれない。

 

 

思い出そうと思って今読み返してみたら、なんだか自分の中にあった「将来に対する唯ぼんやりとした不安」は一旦どこかに消えてしまった。

 

 

色々この後書こうと思ったこともあったけれど、それを書くのすら今はバカバカしい気もする。でもきっと今はどこかに行ってしまっただけで、どうせ明日には、明日来なかったなら明後日には、明後日来なかったとしてもいつかまた何度でもこのぼんやりとした不安はやってくる。

 

 

僕はこの不安の相手をするのにほとほと疲れ果ててしまっている。何に由来するものかは知らないけれど、もうそろそろ勘弁してくれないものなのか。悩まされている時は薬で治るものならそれで良いじゃないかと思うけれど、そこまでするものでもないんじゃないか?と普段の自分は考えている気がする。

 

 

Twitterでも書いたけれど、普段の自分が本当の自分なのか落ち込んで鬱になっている自分が本当の自分なのかの区別も付かない。いや、勿論両方合わせて自分、というのが正解だけれども、それを正解とするにはあまりにも両極端がすぎるというか、自我同一性を保てていなさすぎる気がする。

 

 

話を戻す。最初に芥川を尊敬していると書いたけれど、それは僕が勝手に彼にシンパシーを感じていることも大きい。芥川の文章は、理知的で、インテリ的な視点とセンスが随所に見られて、短編であり、ユニークな話題を扱っても決して格調を失わないというところが魅力だと僕は思っている。

 

 

ただ、僕はこの格調高さやインテリ的な視点やセンスを常に、それこそ最後の遺稿となる文章まで持ち続けているのは、彼がそこに拘りを持っていて、かつ囚われているということでもあると勝手に思っている。

 

 

他人の視点か、自分の視点か、それとも別の何かかは分からないけれど、彼がその感覚を捨て去って楽になることを何かが許さなかったのかなと、思ったりもする。側から見れば視野狭窄な気もするが、自分で自分の首を絞めていくような在り方はどうも他人事とは思えない部分がある。

 

 

後、先程『歯車』を読んでいて目に留まったのは、彼が自分を高く評価し先生と慕う若者を冷たくあしらった場面だ。この後の場面で、「僕は芸術的良心を始め、どう云ふ良心も持つてゐない。僕の持つてゐるのは神経だけである。」というセリフがあるように、彼は自身の良心を信じておらず自分自身を見下しており、にも関わらずそんな自分を先生と崇める他者をも結果的に見下しているのだろう。

 

 

 

 

僕はこの自分の良心を信じていない、というのは単に良心だけの話に留まるものではないと思う。良心というのは定義が難しい言葉ではあるが、自分自身で良心が無いと判断できるのは中々不思議な状態ではないだろうか。

 

 

もし良心を持たない根っからの悪人なんてものがもし存在するとすれば、その人物は自分に良心が無いことを悟ることはないと思われる。なぜなら良心とは結局は何かとの比較で「良」と判断されるもので、自分が一切悪に染まっているのならばそこには良い悪いの価値判断はなく、ただ徹底した唯一の価値観を持った自分が存在する、と認識するだけになるはずだからだ。

 

 

僕はここでの彼は後に「僕の持つてゐるのは神経だけである」と言っている事からも、「良心」だけではなく「心そのもの」、別の言い方をすれば自分自身が何者かといったアイデンティティを失っているのだと思う。

 

 

まさか芥川が本当に芸術的良心も、広義の良心も一切持っていなかったとは到底考えにくい。恐らく、自分の行動基準や価値判断の基準となる良心の一切が、全て他人や社会からの借り物で、自分のものではないような気がしてしまったというのが近い所ではないかと個人的には思う。自分を見失うというのは、彼が晩年神経衰弱に陥っていたことからも説明がつく、というかこれがそのまま神経衰弱の説明かもしれない。

 

長々と書いたけれど、僕は上に書いたような部分に関して芥川にシンパシーを感じている。勿論芥川は僕よりも遥かに学を積んでおり、文筆の才に溢れていて、世間からの評価も雲泥の差がある、というより僕はまだ何事も成していない為世間からの評価は皆無だ。

 

 

ただ、そういった外面の部分は無視すると、芥川の悩みは僕自身の悩みとかなり共通する部分があるように思える。勿論その悩みの部分すら、彼の置かれた境遇やそこから来るプレッシャーを考えれば、その深さも遠く及ばないものではあるけれど。もしくは、実はこれは人類に共通する普遍的な悩みで、それを天才芥川が誰もが共感できるように丁寧に書き紡いだという見方もできるかもしれない。

 

 

なんにせよ、僕が真に怖いと思うのは、僕が尊敬する彼のような立場にあっても、そういった精神の悩みからは逃れられないという所だ。

 

 

僕が彼のようになることは到底不可能であるだろうし、そもそも別の道を歩む可能性の方が高いとは思う。ただ、どんな道を選んで、仮に成功したとしても、この精神の悩みは常に自分につきまとい続けるのではないだろうか。それどころか、きっと死ぬまで逃れることはできないだろうという確信めいたものさえ今は持っている。

 

 

(これは昨日の夜に書いた文章だが、今朝になって見返しみると、あぁ本当に自分の文章は論理が破綻しているんじゃないかというか、元々その辺りを厳密にやろうという気がないんだろうな…とほとほと呆れ返ってしまう。怪しい部分が多すぎて今更書き直す気にもなれないので、芥川評の部分は半分無視して僕の自己紹介として見てくれたら幸いだ。そもそも、こうやって雑に他者の心情を類推(にすらなっていなさそうだが)して、更に自分と偉人を同一化しようとする試み自体が大変お行儀が悪いんじゃないか。)