とりあえず無題

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流れを大事にしています

姿を見せないものこそ本当に恐ろしい。『夜行』を読んで。

 

 

 

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どうも浪人生ブロガーのやまPです。

 

今回紹介するのは腐れ大学生を書かせたら天下一品、天衣無縫の人気作家、森見登美彦作の『夜行』である。

 

ただ今回紹介する『夜行』にはお得意の腐れ大学生は登場しない。

 

この本は森見登美彦のもう一つの顔であるホラー的要素が組み入れられた、通称「裏登美彦作品」(勝手に僕がそう呼んでるだけ)といった感じのものだ。まずタイトルの『夜行』からしてがっつり裏っぽい雰囲気はブンブン感じるだろう。

 

どちらの顔にもすばらしい魅力はあるが、今回は「裏」の方にフォーカスを当てていくことになるだろう。

 

 

 

 

ここでちょっと関係ない話にはなるが、皆さんはタイトルの『夜行』と聞いて何が思い浮かんだろうか。僕は小さい頃妖怪が大好きで、水木しげるも大好きだったのだが、彼の「妖怪大図鑑」みたいな名前の本(間違っていたら申し訳ない)に載っていた「夜行さん」(読みはやぎょう)という名前の妖怪を思い出してしまった。

 

 

なぜ思い出したかってこいつが単純に怖いのだ。「夜行さん」は百鬼夜行の日にだけ、首無し馬に乗って町を徘徊する。そして「夜行さん」と運悪く出くわした人間は、一人残らず蹴り殺されるのだ。

 

強烈である。

 

小さい頃の僕には、このエピソードは、水木しげるの恐ろしい絵もあいまって、なかなかのトラウマとなり、しばらくの間夜道を歩く時は常に「夜行さん」に怯えてぷるぷるしていたものだ。

 

ちなみに「夜行さん」にであっても見逃してもらう方法が一つだけある。その方法は、、、最後までこの記事を読んでくださった方だけにお教えしよう。

 

 

 

そろそろ本題に戻ろう。

 

内容紹介

夜行

夜行

 

 僕:らは誰も彼女のことを忘れられなかった。

私たち六人は、京都で学生時代を過ごした仲間だった。
十年前、鞍馬の火祭りを訪れた私たちの前から、長谷川さんは突然姿を消した。
十年ぶりに鞍馬に集まったのは、おそらく皆、もう一度彼女に会いたかったからだ。
夜が更けるなか、それぞれが旅先で出会った不思議な体験を語り出す。
私たちは全員、岸田道生という画家が描いた「夜行」という絵と出会っていた。
旅の夜の怪談に、青春小説、ファンタジーの要素を織り込んだ最高傑作!
「夜はどこにでも通じているの。世界はつねに夜なのよ」

 

今回もアマゾンの紹介文をそのまま転載している。何様だよおまえみたいなこと言われそうだが、この紹介文はすごくうまいと思う。めっちゃ読みたくなる。あれ、これってもう僕が記事の続き書かなくてもいいのでは、、、。

 

 

京都作家、森見登美彦

 

気を取り直して続きを書いていこう。森見登美彦は自他共に認める「京都作家」である。同じく京都を舞台にした小説を書くことが多い人気作家万城目学がとあるインタビューで、

 

森見登美彦さんが8割、僕が2割で京都を焼け野原にした。』

 

と語るほどだからよっぽどである。今回の『夜行』もその例に漏れず物語は京都の鞍馬からスタート。

 

だが今回はこの後の展開がいつもとは異なる。

 

 

京都を飛び出す

普段なら京都の魅力を活かし、京都で話を進めていくことが多いが今回は『夜行』のタイトル通り、主人公たちは旅に出て、その先々で物語は進行する。夜行列車に乗ったり、雪道を歩いたり、町を観光したりといつものテイストとは違う、紀行文チックな楽しみ方ができるのもこの作品の特色だ。

 

 

しかし、旅の途中途中にも不穏な空気は流れ続けている。

 

 

この作品の鍵となる、作品の題名と同一の名前の連作絵画「夜行」は、まるで後をつけるように、何処にでも存在するかのように、旅先の主人公らの前に不気味に常に現れる続ける。

 

 

絵画「夜行」の役割

 

この文章は裏登美彦特有の感情を込めない起伏の乏しい、平坦で丁寧な文体で描かれる。

 

淡々とした書きぶりは、何とも言えない絶妙な不気味さを生み出すのに一役買ってはいるが、ともすればその起伏のなさ故に、文章がだらだらとした、おもしろみのないものになる危険性もはらんでいる。

 

 

連作絵画「夜行」は文章全体のテーマとして要所要所で現れて物語にまとまりを与え、読者の様々な想像を喚起させるという非常に効果的な役割を果たしているのだ。

 

 

得体の知れないもの

この作品に限らず森見登美彦の描くホラーには共通点がある。それは得体の知れなさ、である。

 

不可解な不気味な現象が起こり、我々の人智を超えた「なにか」が存在することは確実、だがその「なにか」は直接姿を現すことなく、登場人物たちは永遠にその周りをぐるぐる、抜け出せずにさまよいつづける、そういった類のものだ。

 

『夜行』においても旅先に現れる絵画自体がの不気味さよりも、絵画を通して見える得体の知れない「なにか」、そして何処に行ってもその「なにか」からは逃れられない、そういったところに本当の恐怖が存在するのだ。

 

 

こう考えるとまだいたいけな小学生だった頃の僕が「夜行さん」に怯えていた本当の理由もなんとなく分かった気がする。「夜行さん」に限らず、妖怪といった類のものは基本的に伝承でしか伝わっていない得体の知れないものだ。

 

本当に存在するかは分からない、ただの想像上の存在かもしれない、でもそんな正体不明の恐ろしさに怯え、そしてその得体の知れなさに惹きつけられるのだ。

 

 

まとめ

今回はだいぶごちゃごちゃと色々なことを書いてしまったが、結局言いたいのは、

 

 

『夜行』は妖怪みたいな本!ということだ。

 

不気味な恐ろしさはあるが、その不気味さも魅力のひとつである。異世界に潜り込んだかのような不思議な読書体験となるだろう。ぜひ一読を。

 

 

 

*もうみんな忘れてたかもしれないが、一応「夜行さん」対策を。

もし「夜行さん」に運悪く出会ってしまった場合は、下駄を頭に載せてその場にひれ伏せば見逃してくれるそうだ。皆さんの幸運を祈る。

 

 

 

 

今回はここまで。